藤子・F・不二雄が少年サンデー高柳編集長に送った手紙

ドラえもんの連載直前、ウメ星デンカが連載されていた1969年頃に藤子・F・不二雄が少年サンデーの高柳義也編集長に送った手紙があります。

貴重な資料であるこの手紙は書籍に掲載されたことがおそらく現在までなく、全貌の把握が難しいため、読み取れる範囲の内容を以下のとおり書き起こしました。

手紙は少なくとも2枚以上あります。1枚目はほぼ全文が判明しています。

元映像
・2006年2月19日放送『ドラえもん誕生物語 〜藤子・F・不二雄からの手紙〜』
・2013年10月21日放送『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)

※【】内は判読不能、一部は筆者の推測です。

(1枚目)
先日は失礼しました。御多忙の処、色々貴重な御意見を有難うございました。あれから夏休みに入り、ゆっくり考えてみたのですが、どうにも確信が持てないのです。

私としては「21エモン」に未練があったのですが、どうやら編集部ではお呼びでない様子。そうなると押してまで…という気にはなれません。別に21エモンならヒットさせる自信があるわけでもないのです。だから是非にもとはいえません。

一言「サラリーマンゴンスケ」には今の処、興味がもてないのです。材料としては面白いと思います。只、私のアンテナに波長が合わないというか、自分がそれを書くとして具体的に考えてみるとピンとくるものがありません。

その上(実はこれが最大の理由なのですが)先日申し上げたく【り返】しになりますが、最近の読者層の変質についていけないのです。こうなるまでには私なりに努力はしてきたつもりです。自分の【◯◯◯】変質させようとずい分つくりもののアイデアも出してみたし、精一杯背のびもしました。しかし、私にも児童マンガ(現在では幼児マ【ンガと】読ぶべきでしょうか?)のありかたについては信念めいたものがあり、ある限度以上はどうにも動かし難い部分が残ります。才能が及ばない面もあるでしょう。

反射神経が鈍く適応性に欠けるという事もあります。理由は様々ですが、要するにギャップは広がるばかりなのです。(終)

(2枚目以降)
こういうわけで新連載をヒットさせる自信は全然ありません。一片の自信もなく始めたマンガがどういう結果になるか「ウメ星」の前例もある事です。残された道は只一つ。しばらく「少年サンデー」の執筆陣からはずしていただく他なさそうです。

永い間お世話になったサンデーを離れるのは心細いかぎりです【以下不明】

一度戦線を縮小して出直します。【以下不明】

ドラワークス