たまには真面目シリーズと称してたまには真面目なことを書きます。今回は、ドラえもんファンサイトの当サイトを通して学問や人文学のたのしさについて語ります。テーマは「ただしさ」を追究するための方法論です。
以前、出木杉くんの名前の変遷を解説する記事を書きました。ほぼ同一の資料を複数比較することで名前のただしさを調べています。これは、学術的には文献学の手法です。
ドラえもんだと少しだけ学問らしさが薄れるので、今回は『源氏物語』を例にします。源氏物語は残念ながら原本が散逸してしまいました。しかし、当時のファンが大量のコピーを作り、それを読んだ新たなファンも作品を継承しようと努力し、いまも私たちは本作を楽しむことができています。
印刷技術のなかった当時の複写は手書きによるため写し間違いが発生します。ときには作品の展開に不満を持った読者が二次創作的に本文を修正することもあったかもしれません1。また、紫式部自身も自作を何度か推敲しており、原本自体が複数あるとされています2。このため、さかのぼっていちばん最初の原文を再現しようとしても、ひとつの写本だけではただしさを確定することはできません。
しかし、多くの写本を比較することで、ある程度までのただしさは復元できます。このような手法でただしさを追究する学問が主に文献学（本文研究）です。
源氏物語の写本は鎌倉時代に主に青表紙本と河内本の2種類の系統に分かれ、その後も分化していったことが判明しています。
2019年には藤原定家による「よりただしい」写本（青表紙本）が新たに発見され、教科書が書き換わる大発見と話題になりました。
藤原定家という人はその時にあったすばらしい古典をガッと地引き漁する行動力と家族総出での書写の協働と、自らのステータスを利用して有力貴族たちに写本を多く流布させたんですよね。
そのおかけで、生き延びた古典作品は数知れず。源氏物語でさえ、かれがいなかったとしたら。— シン・ハルコ💉💉💉 (@tamalovepoaro) October 8, 2019
もうひとつの学問分野を紹介します。ドラえもん誕生秘話の記事を例にします。
作者いわく、大人向け漫画の隆盛で児童漫画が後退する時代の苦悩の中で生まれたのがドラえもんでした。
しかし、この証言だけでは当時の漫画の読者層の変化が真実であると断言することはできません。作者の勘違いかもしれません。また、作者以外が書いた記事でもそのまま信じることはできません。ドラマチックに描くため同様のバイアスがかかっている可能性があるからです。
ただしさを証明するため、漫画史について客観的に書かれたであろう複数の書籍を確認しました。その結果、少なくとも当時において従来からの児童漫画が衰退傾向にあったということをそれなりに論じられたと思います。
本人の証言は重要な資料のひとつですが、ひとつにすぎません。ただしさを証明するには、他の立場から書かれた資料も集めてさまざまな角度から検証する必要があります。 このような手法でただしさを追究する学問が主に歴史学です。
主観を取り除き客観的な事実を探求する歴史学が登場したのは19世紀です。この実証主義的歴史学の考え方は現在でも主流です。しかし、社会の変化の影響などとともに、歴史を記述する手法は修正され続けています。歴史の真実を求めるための方法論もまた時代とともに進化しているということです。
詳細は小田中直樹先生の『歴史学のトリセツ』に譲ります。高校生レベルの歴史知識でもすらすら読めます3。
今回は文献学と歴史学を例に研究手法を紹介しました。しかし、どの学問でも文献学、歴史学の手法は応用されています。どんな学びも自分の好きなこと、私の場合はドラえもん研究につながる可能性はあるということです。
学問は自分の好きなことも含めて視野を広げます。本記事が特に大学で学んでいる方、学ぼうとされている方の動機づけに繋がれば幸いです。なお、大学でなくても独学で学べることは多いです。大学に行けなかった方、大学時代にあまり学びに集中できなかった方も諦める必要はありません。
ちなみに、歴史学で紹介した参考文献の著者の小田中先生は形式的には歴史学ではなく経済学専攻です。視野を広げるのに学問分野は関係ないということがわかります4。
源氏物語はファンに愛された長い歴史があり、研究活動に多くの示唆を与えてくれる作品です。源氏物語が関係する有名な作品に菅原孝標女の『更級日記』があります。これは元祖源氏物語限界オタク黒歴史日記です。内容の一部を超訳します5。
- 噂に聞く源氏物語超おもしろそうなのに地方民だから本屋ない。何冊か読んだらよけいに全巻読みたくなった。そしたらおばさんが源氏物語全巻コンプリートBOX（箱入り愛蔵版）をくれた。
- 源氏物語マジ尊い。源氏物語が読める幸せに比べたら皇后の地位なんてホントどうでもいい。
- 源氏物語ばっか読んでたら夢でイケメンのお坊さんに「遊んでないで勉強しろ」とかいわれた。源氏物語マジ尊い。
- あたしはいまはあんましかわいくないかもしれないけどー、将来はぜったい美人になって源氏物語の夕顔や浮舟みたいに白馬の王子様と素敵な恋をするんだもん。
- 以上は私の黒歴史。
源氏物語はもっと理想的なヒロインが登場するのに、微妙に現実的な夕顔や浮舟を選ぶあたりが重症です6。：「源氏物語」平安時代にオタク生んだ面白さの秘密／東洋経済オンライン
この千年前の黒歴史はいまとなっては源氏物語の貴重な研究資料と化し、あげくの果てに教科書に掲載され多くの人に読まれています。推し活をする皆さんは推しと自身を歴史に残すために推しへの愛を紙に残しておきましょう7。
- 絶対ある。「若菜」の発表時とか作者に苦情が殺到、炎上してそう。[↩]
- 伊井春樹『人がつなぐ源氏物語 藤原定家の写本からたどる物語』pp.76-77[↩]
- 歴史学ならまずE.H.カー『歴史とは何か』からという言説は罠です。小田中先生は著書の参考文献について「ガチな本ばかりなので、いきなり手に取ることはあまりお勧めしません」（p.169）と良心的でした。[↩]
- 経済学部の経済史や法学部の政治史と文学部の歴史学の違いなど、歴史学の学際に興味のある方は松沢裕作『歴史学はこう考える』をおすすめ。[↩]
- 古典の超訳を読みたい方に、町田康訳『宇治拾遺物語』をおすすめしておきます。[↩]
- 夕顔はまだしも浮舟を選ぶのは重症すぎます。[↩]
- 同人誌を制作して国立国会図書館に納本しよう。[↩]
