2006年2月19日に『ドラえもん誕生物語 〜藤子・F・不二雄からの手紙〜』(テレビ朝日系)というドキュメンタリーが放送されました。
当番組は非常に貴重なインタビューが盛り沢山な内容だったのですが、DVD化などはされていないので現在視聴することは困難な状況です。
幸い、当方は録画しておりデータが残っておりますので、重要なインタビュー部分を書き起こしました。
ナレーション:映画のび太のねじ巻き都市の原稿は佳境に入っていました。しかしこのとき、藤本さんは重い病に冒されていました。この日、いつものように藤本さんは自宅2階の仕事部屋へ。
日子:夕ごはんを作って、階段の下から父の書斎に向かって「ごはんだよー」と呼んだら、「はーい」という返事はいつもどおり聞こえたんですが。
テロップ:10分たっても降りてこない…
ナレーション:心配になった日子さんが部屋を訪れると、藤本さんは――
日子:父の机の上に残された原稿を見ますと、最後の1枚まできちんとその鉛筆での下書きが済んでいたんです。だから、まさに、最後まで漫画を描き終えて、意識を失ったんだと思います。
匡美:クリスマスの頃にいつも階段の踊り場にサンタポストっていう小さなポストを作ってくれるんです。それにみんなで欲しいものをリクエストして入れさせてもらうんですけれど、(日子さんに向かって)かわいかったよね?
日子:私たちもいつも毎年それを11月の末頃に出ると、もうすぐクリスマスが来るんだなと感じることができました。
地子:私たちには仕事を見せなかったので、本当に父が描いているのかどうかっていうのは結びつかないんです。あるとき1回父の部屋にバッと入ったときに、机の上に原稿が置いてあって、この人本当にドラえもんを描いているんだって思うくらい私には父と漫画っていうのが結びつかない。
匡美:父は毎朝、家族と一緒に食事を取って、犬の散歩をして、8時半くらいになったら会社に出かけて夜は11時過ぎくらいに帰ってきて、母とお茶を飲んで寝るっていうのをずっーーーと繰り返していたので、会社勤めしているお父さんと本当に同じですよね。
ナレーション:1962年、公私ともに充実した藤本さんはこのころ最愛の女性と結婚。お相手は富山出身の正子さん。お見合い結婚でした。
正子:第一印象っていうのは、彼がまだ28歳のときで私が23歳だったと思うんですけど、私の家に訪ねてきたときが最初なんですけれど、すごく精悍な感じがしましたね。その後は私はなんか◯◯【聞き取れず】な感じって皆さんおっしゃるんですけども、やっぱり若いときの写真を見ましたら、結構目がキュッと強いっていうか、目線が強いっていうか、そんな感じでした。
ナレーション:そんな中、藤本さんが連載をもつ少年サンデーが大人向け漫画への路線変更を提案してきました。
当時少年サンデー編集長・高柳義也:21エモンの中のゴンスケというのが面白いから、あのキャラクターでサラリーマン的にゴンスケをキャラクター化してやったらいいのではないかと。
正子:それで「サラリーマン漫画をという話がきてる」というようなことを私にちらっと言ったんですけど、「でも僕そんなの描けないから」と。「ホントねー」って言って。
(作者の返信はこちら:藤子・F・不二雄が少年サンデー高柳編集長に送った手紙)
むぎわらしんたろう:恐竜がやっぱり本人は大好きだったので、恐竜が出てくるとかなり細かく描きました。プテラノドンを描いたシーンをご自身で覗きにきて「骨格がちょっと違う、ここにもう一本骨があるはずだ」と。わかりました、と直して。図鑑を見て描いたんだけど。